home小説> 「春」

#律霊 #mp100

「春」

220319律霊ワンドロ
律高校2年生

2498文字
2022-03-20 00:32




 青かった空が真っ赤に染まっていく様子をじっと眺めていた。国道に入ってからこっち、1時間近く渋滞が続いており、車内にはしばしば沈黙が落ちていた。
「……なぁこの車、音楽とか聞けるみたいだけど。なんか携帯に入ってないのか」
「ないですね」
「そうかー。俺の携帯だと端子が合わなくてさ。店員がやたらと熱心に説明してたからどんなもんか試してみたかったんだが……行きのときはモブがグロッキーでそれどころじゃなかったし」
 走り始めはやや緊張してハンドルを握っていた霊幻だったが、一向に変わらないこの車ばかりの景色にいい加減飽きたとでも言いたげな口調でそう言った。
 霊幻が用意した定員2名の小型トラックはお世辞にも乗り心地が良いとは言えず、道路の凹凸がそのまま振動となって座席に響いてくるようだった。数時間前この助手席に座っていた兄が到着後しばらくぐったりとしていたのも仕方のないことだと思う。
 朝から家族総出で取り掛かっていた兄の引っ越しは終始バタバタとしていたが、ひとまず一段落ということになり、明日学校のある僕は一足先に帰路につくこととなった。手伝いに来ていた兄の師匠とともに。
 この春から兄の通う大学は家から電車を乗り継いで数時間とかかる場所にあった。引っ越しにあたり、兄が家から持ち出す荷物はそう多くなく、少しの衣服と、雑多な小物が数点、それから普段使っている食器をいくつか、母に持たされていた。そのいくつかの衣装ケースと段ボールを運ぶのに業者に頼むほどでもないということになったが、父の車に積みきれるかどうかには懸念があった。ならば何か大きめの車を借りるのだろうと思っていたら、僕が少し目を離した隙に父と霊幻、2台の車で運ぶという話に決まってしまっていた。
「ご両親は今夜はモブん家に泊まってくんだっけか」
 また霊幻が無遠慮に沈黙を破る。
「そうみたいですね」
 まだ色々と手続きが残っているらしいので、と続けようとして、思いとどまる。沈黙が気詰りだからといって必要以上に喋りすぎると、かえって気まずくなる。しかし、先程から霊幻はこの気詰りな雰囲気をまるで無視しているかのようにしきりに話しかけてきた。あるいは本当に何も感じていないのかもしれなかった。
 運転してもらっている手前、申し訳なさが先立つというのと、そしてなにより、行きでは兄が座っていた霊幻の隣の席に、帰りは弟の僕が座っているという状況にどうにも言い表し難い居心地の悪さを感じていた。こうなることが分かっていたから僕は電車で帰ると言ったのに、どうせ帰る方向は同じなのだからと言う両親に言い返せる言葉が見つからなかった。
 意識を逃がすように窓の外を見る。早咲きの桜だろうか、見事に咲き誇ったそれが国道沿いの道を染め上げていた。兄さんも行きでこの景色を見たのだろうか。車酔いでそれどころではなかったか。体調が良くないのに、自分の引っ越しだからと一生懸命荷物を運んでいた。兄さんは大丈夫だろうか。そうだ、兄さんは明日から一人なんだ。
「じゃあ、どっかでラーメンでも食ってくか。一人なんだろ」
 ふいに飛んできた言葉が考え事と重なって、心臓がどきりと跳ねた。まさか、考えていることを言い当てられた?
「え、何? 俺、なんかまずいこと言った……?」
 車は未だ渋滞で動かない。僕はよほど酷い顔をしていたのか、霊幻が軽くこちらの様子を伺っている。
「おい律、大丈夫か?」
 やや慌てたような様子の霊幻を見て、心を読まれたわけではないと分かった。僕が今日家に一人だろうと言われたのだ。動悸をむりやり落ち着かせながら僕は答えた。
「……すみません、よく聞こえなくて。えっと、焼肉をご馳走してくれる話でしたか?」
「おう、焼肉ね……」
 つうかお前、聞こえてただろ、と霊幻がぼやいている。この車に乗り込んでから初めてまともに霊幻を見た。霊幻は引っ越しの作業に備えてか、厚手のシャツにジャンパー、ジーンズというラフな出で立ちだった。スーツ以外の姿を見ることは僕にとって初めてに近い。この男にだって、僕らには見せない別の姿があり、生活があるのだということに僕が思い至ったのはここ数年のことだった。
「……霊幻さん。一人ってどんな感じですか」
「モブのことならまあ、大丈夫だろ」
 唐突に切り出した僕に大して驚いた様子もなくそう返ってきた。答えになっていないその答えに、やはり考えていたことが読まれていたのだと察するが、言ってしまった言葉を取り消すことはできない。僕が言葉を詰まらせているうちに、霊幻はこう続けた。
「心配ならたまに様子見に行ってやれよ。きっとあいつ喜ぶから」
 ちょうど渋滞が動き出して、会話がそこで途切れた。
 霊幻の横顔の向こうで夕日が沈んでいく。普段と違う姿を見せたかと思えばすぐまたいつもの横顔に戻ってしまう。この男は他人のことではよく口が回るくせに、自分のことになるとこうだ。僕はあなたのことを尋ねたのに、分かったような口ぶりで兄さんに話を逸らして。そう思ったら苛々してきて、次々に感情が溢れ出してきた。
 手を伸ばせば触れられそうな距離にあるその横顔を睨む。だいたい、お人好しがすぎるのだ。今日だって、頼まれたからと言って弟子の引っ越しの日にわざわざ車を出して、弟子の弟をご丁寧に家まで送って、僕からしてみればなぜと思えるようなことをあっさりと引き受けた。兄さんには見せたことがあるのだろうか。まっすぐにその顔を。
 また渋滞だ。霊幻は僕の返事を待つでもなく、ただ黙っていた。沈黙を破ったのは僕だった。
「そうですね。また会いに来ます、兄さんに」
 僕は手を伸ばすかわりにこう言って、そしてこう付け加える。
「それと、あなたにも」
「え。なんで、俺……」
 夕日はすっかり沈んで横顔だってろくに見えない。考えてみれば、時間はたっぷりあるんだ。焼肉屋だか、ラーメン屋だかに着いたら、正面の席を陣取って、それから嫌ってほど顔を見つめてやろうと思う。