ずれ
CPなし
兄さんが初めて師匠にラーメン連れてってもらった日の律。暗い!! 救いは本編にあるので大丈夫です。一人称に挑戦してみたけど難しい……
1706文字
2022-01-10 01:14
廊下から電話の呼出音が聞こえてきたのは、ちょうど母さんが夕飯を作り始めた頃だった。フライパンで炒めものをしているみたいだったから、ニュースを見ていた僕はソファから立ち上がって母さんに声をかけた。
「母さん、僕が出るよ」
「助かるわ。お願いね」
電話に出るときどうすればいいかは父さんに教わった。たいていの電話は保険の勧誘か、学校の連絡網だったから、きっとこの電話もそのどちらかだと思う。どちらでもなければ、要件を聞いて、母に代わればいい。そうシュミレーションしながら受話器を取る。
「はい、もしもし」
「もしもし、霊幻と申しますが。影山さんのお宅ですか」
霊幻。兄を利用している胡散臭い大人。繕ったような声に背中がぞわりとして、部屋の温度が少し下がった気がした。兄さんは今日もこの男のところに行っているはずだった。わざわざ家に電話をかけてくる用とは何だろう。考えると悪い予感しかしなくて、つい口調がキツくなる。
「……霊幻さん。兄さんに何かあったんですか」
「ん……? もしかしてモブの弟か?」
僕と分かった途端に声を繕うのをやめたようだった。それが分かって腹が立ったけれど、同時に安堵する自分がいる。得体のしれない態度を貫かれるよりは、この方がずっと良い。
「兄さんに何かあったんですかと聞いているんです」
「ああ、悪い悪い。いや、そんなんじゃねぇよ。悪いんだけど、親御さんいたら代わってくれる?」
繕われるよりましとはいえ、悪いと連発しながらさほど悪いと思っていなさそうな霊幻の調子にぞわぞわと毛が逆立った。子供だからと適当にあしらわれているのだろうか? 分からないし分かりたいとも思わないが、少なくともこんな大人にはなりたくないと思う。
母に代わります、できるだけ静かにそう言って、保留ボタンを押した。
「──茂夫を? ええ、ええ。そんな、いいんですか? あら……じゃあ、お言葉に甘えようかしら。霊幻先生、すみませんが、よろしくお願いします」
廊下から母の話し声が聞こえてくる。一体何の用だというのだろう。いつもならもう兄が帰ってきてもいい時間なのに。そう思うといっそう不安に駆られた。
数分のはずなのに何十分もそうしていたような気がする。ようやく電話を終えた母が居間に戻ってきた。
「律、電話ありがとう」
「霊幻さん、何だって?」
「今日、シゲに夕飯をご馳走してくれるそうよ。了承とるのに連絡くださるなんて、律儀な方ね」
律儀。そうなのだろうか。僕にはどうしても、そう見えるように演出しているだけのようにしか思えなかった。兄さんも母さんも父さんも、なぜあの男を信用できるのだろう。
「……大丈夫かな。兄さん」
つい、そう零してしまう。しかし母さんは僕の不安に気づいた様子もなく、至っていつも通りの様子でこう言った。
「帰りが遅くなったら霊幻さんが送ってくださるそうよ。それにシゲももう中学生だし、そう心配しなくても大丈夫よ」
「……そっか。そうだよね」
ずれた会話に愕然とするのは何度目だろうか。去年突然僕たち家族の中に入り込んできた霊幻新隆という存在に、僕だけが馴染めない。兄さんも母さんも前とは何だか違ってしまって、僕との会話はいつも段々ずれていって、まるで違う世界に行ってしまったみたいだ。僕が置いていかれたんじゃない、あの男が連れて行ったんだ。
何度考えても同じ結論にたどり着く。おかしいのは僕じゃないはずだ。でも日々の食卓で霊幻さんの話題が出るたびに、間違っているのは僕の方だという現実を見せつけられていた。僕一人少しずつ家族からずれて離れていく。そのずれを放っておけばいずれ取り返しがつかなくなるのは明らかだったけど、それこそ僕にはどうしようもないことだった。だって、僕の言葉はずれてしまって、決して家族に届かないのだから。
「霊幻さんに会ってから、シゲは明るくなったわよね」
野菜炒めを三枚の皿に盛り付けながら、母さんが嬉しそうに話しかけてくる。それに僕は、ただ頷くことしかできない。