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#律霊 #mp100

「瞳」

211120律霊ワンドロ
律が大学生くらい。レはちょっと疲れている。

1901文字
2022-01-03 16:33




 この人の瞳の揺らぐ瞬間を知っている。例えば、兄さんが受験勉強で忙しくなってからしばらくして、代役を頼まれた律がいつぶりかに顔を見せた時。バイト終わりに、ラーメンでも食ってくか、と律にたずねる時。受付の席につく律を、たまに無意識なのかぼんやり見ていたりする。そんな時。

 窓越しに目が合ったと思ったのは律だけだったようだ。否応なく高鳴る律の気持ちとは裏腹に、霊幻はテーブルに頬杖をついたまま微動だにしない。その視線はガラス窓と同じように律の体を通り抜け、駅前の雑踏に向けられていた。

 店に足を踏み入れると、一名様ですか、と店員に声をかけられる。中に連れがいるのでと短く答え、先ほど見た窓際の席に向かった。とにかく急って仕方がない気持ちを無理やり押し付けるようにして歩く。
 先程と変わらず、霊幻は頬杖をついて窓の外を眺めていた。小さく深呼吸をしてから声をかける。
「霊幻さん」
 窓際の席で外を眺めるなんてごく普通のことだ。それなのに、この人が律の声にも気づかずその行為に耽っているという状況に、何となく引っかかるものがあった。だけど、今はそれどころじゃない。
「……霊幻さん、待ちましたか」
「うおっ! 律、いつの間に!」
 もう一度声をかけると、霊幻はようやく律がいることに気が付いた。ずいぶんと気が抜けていたのか、律からしてみれば大げさとも思えるような動きでこちらを向く。例によってその長い腕がテーブルの上のコーヒーカップをひっかけ、中の液体ごとぐらりと傾いた。
「やべっ! おい、気を付け……」
 霊幻が言い終えるより前に、律は人差し指を立てて力を発動させる。こういう咄嗟の対応が昔から苦手だった。しかし今回は上手くいったようだった。コーヒーカップとコーヒーが宙に浮いて止まる。ほっとして倒した本人を見ると、宙に浮いているそれらを見つめたまま、霊幻もまた、止まっていた。ああ、まただ、と思った。霊幻の瞳だけがぐらりと波打つのが分かった。ゆらゆらと色づいていくその瞳に本当は何が映っているのか、律は知っている。目の前にいる自分がどのように見えているのかも。
「ヤケドしなかったですか?」
 律が声をかけるとその目は急速に焦点を取り戻した。ハッとしたように律の顔を見上げ、すまんな、と言う。
「気を付けてくださいよ。あなた、こういうとこ抜けてますよね」
「助かった。超能力ってのは便利なもんだな」
 コーヒーカップをテーブルに着地させ、律も霊幻の向かいの席に座る。
「それで、今日はどうしたんですか」
「ああ、この近くで仕事してたんだが、さっき終わってな。律の大学の近くだし、どうせなら昼飯でもどうかと思って」
「ああ、なるほど」
「あ、もちろん俺の奢りだからな? 好きなもん頼めよ」
 そう言って律にメニューを寄こしてくる。ぱらぱらと捲ってみるが、内容がさっぱり頭に入ってこない。除霊の仕事以外で、霊幻の方から何かに誘われるなんて初めてのことだった。それに、この人が律の通っている大学を覚えていたということも衝撃だった。確か合格した時に訊かれたきり話に出した記憶がない。講義が終わってメールを見たときの高揚感が未だに鳴り止まず、メニューの文字はするすると視界を滑っていく。そういえば霊幻はもう注文を済ませているのだろうか。
「決まったか?」
「いえ、まだ」
 そうか、まあゆっくり決めろよとのんびり言い、椅子の背にもたれて霊幻は再び窓の外に目を向けた。
「ここでこうして律が通るの待ってたんだが、気づかなかったな」
 何てことないように霊幻がぽつりとつぶやく。それを聞いた瞬間に、舞い上がっていた気持ちが急激にしぼんでいった。
「……大学からここまでだと、他にも道があるんですよ」
 そんな言葉が数秒と置かず己の口から出たことに、自分で笑いそうになる。まあそうだよな、と納得したのかしていないのか、興味があるのかすらよく分からない相槌を打つ霊幻を尻目に、嘘つきって人にうつるんだろうかと考える。この人は律をここに呼びつけておきながら、一体誰を待っていたというのだろうか? ここまで走ってきたのが馬鹿みたいじゃないか。いや、馬鹿なことをしているのはもう何年も前から嫌というほど理解していた。相変わらずメニューの文字は頭に入ってこない。今はそれよりも確かめたいことがあった。
「霊幻さん、決めました」
「おっ」
 外を眺めていた霊幻がこちらを向く。その瞳に映っているのは律だ。今は。今だけは。
「あなたと同じものが食べたいです」