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「叱る」「叱られ」

211113律霊ワンドロ
社会人の律とレ

1716文字
2022-01-03 16:28




 車内に列車の遅延を知らせるアナウンスが響いている。
 影山律は腕時計をちらと確認し眉に皺を寄せた。時間に余裕を持ってきてはいたが、待ち合わせの時間に間に合うかどうか微妙といったところだ。
(連絡を入れておいた方がよさそうだな)
 スマホを取り出し、メールアプリを開く。律がプライベートで普段からメールを使用している相手は一人だけだった。スマホの普及とともに自然とSNSが主流となっていく中、この人は未だにパカパカと開閉する携帯電話を使い続けている。何年も前から変わらないその様子を見るたびに言いようのない不安に襲われ、律は今までに一度も彼に対してスマホにしないのかとか、SNSを使わなくて不便ではないのかなどと言及したことがなかった。

『すみません。電車の遅延で待ち合わせに遅れそうです』

 書き終えたメールの文面を読み返しながら、送信ボタンに手をかけたところで律は手を止めた。何年も前の、兄とのやり取りを思い出していた。


「今日、師匠に叱られたんだ」
 兄はその日も霊幻の元に手伝いに行っていた。玄関で出迎えると、兄はなんだかぼんやりした表情でぽつりとそう言った。
「えっ。叱られたって。何かひどいことをされたんじゃ……兄さん、大丈夫?!」
「あっうん……心配しないで。僕が悪かったんだ。約束の時間に遅刻しちゃって」
 つい兄の肩を掴んで反応してしまうと、律の勢いに兄は少し気圧された様子だった。律はハッとして兄から手を離した。謝ろうと兄の表情をうかがうと、律よりも先に兄が言葉を発した。
「律、あのね。師匠はいつも大事なことを教えてくれるんだ」
 僕が謝るまでもなく、もう兄から先ほどの表情は消えていた。律ではないどこかを見つめながら師匠と仰ぐ男のことを語る兄を、あの時の自分はどんな気持ちで見つめていたのだったか。霊幻はもしかしたら自分が思っているよりもちゃんとした大人なのかもしれないという考えが律の中に芽生え始めた気がしたが、気づかなかったふりをした。


 今だから分かることだが、人を叱るという行為は想像以上に気が滅入るものだ。律も仕事で部下を持つようになってからまだ日が浅いが、幾度となく悩んだ経験があった。だから当時の霊幻が兄と真剣に向き合ってくれていたということが、今になって身に染みてくる。きっと兄にとっては当時からすでに分かっていたことだろう。
(あの人も人を叱ることがあるんだな)
 相変わらず送信ボタンを見つめたまま律は想像した。あの日、霊幻はどんな言葉で、どんな表情で、兄を諭したのだろうか。その時にはあの軽薄で胡散臭い表情が消えたのだろうか。もし今、このボタンを押さなければ、この答えが分かるのだろうか。


「……っ、すみません。遅くなりました」
 改札を出るといつもの場所に霊幻は立っていた。律が息を上げて声をかけると、宙を眺めていた横顔がこちらを振り向いて表情が変わった。
「走ってきたのか? お前のせいじゃねーだろ、気にすんな」
 よしじゃあ行こうぜ、と言って歩き出す霊幻の横に、息を整えながら並んで律も歩き出す。
「今日何食う? また何も決めないで当日になっちまったな」
「焼肉がいいです」
「え」
 間髪入れずに答えると、驚いて一瞬こちらを見た霊幻の目が予想通り泳ぎ始める。「ま、まあ律くんがそういうなら俺もね…」とかなんとか、律と目を合わせないようにしながらペラペラと何か喋っている。この人の表情が変わるたびに襲い来るこの感情は何だろうか? 零れそうになる笑みを堪えながら律は言った。
「遅刻したお詫びに、僕に奢らせてください」
「え」
 先ほどと全く同じ仕草をする霊幻に、律はついに笑みが堪えきれなくなった。
 この人に限って、素直に奢らせてくれないであろうことは分かっている。次にどんな表情をするのかが楽しみで、律は瞬きを忘れて隣の人を見つめていた。

 結局、メールは送信した。律はもう大人になってしまった。この人と並んで歩いていくことに決めたのだ。あの答えはきっと、もう二度と手に入らない。